2019/03/14
私も自分自身がペットロスになった経験もあります。
諸々の思いを書いたものを以前雑誌に連載させていただきました。
後から気づいたこともあったので、当時の内容に少し変更を加えてこちらに書かせてもらいます。
「誰もが経験する、ペットロス深い悲しみの中に潜むものは?」
動物を飼うと、たくさんの嬉しいことや楽しいことがあります。ただ存在してくれているというだけで、飼い主はたとえようもない最上級の癒しをペットからもらっています。しかし動物を飼っていると避けて通ることのできない悲しい出来事があります。それは、ペットとの「別れ」です。
ペットロス、というのはその名の通り「ペットを失うこと」を指しますが、実際には、愛する動物を失った飼い主の深い悲しみを表現する言葉として使われています。
動物は人よりも寿命が短いので、当然何らかの形でペットを見送るようになると思います。残念なことですが、ペットが行方不明になって生死を確認できない場合もあります。これもペットロスになるひとつの形と言えると思います。ペットロスは飼い主としてごく当然の正常な反応であり、周囲の人々が騒ぎ立てるような特別なことでは決してありません。しかしその一方で、ペットロスとはそんなに単純で簡単なものではないということもまた事実です。愛する家族の一員を亡くすこと、それがとても悲しいことだということは当事者でなくても想像していただけるでしょう。多くの方々が深く落ち込み、病気にまで悪化する方もいらっしゃるのです。
ペットロスの根底にあるもの、それは「後悔」だと私は思っています。「もっと早く気付いていれば死なせずに済んだのではないか」、「痛い思いをさせてまで生き長らえさせたことは自分のエゴではなかったか」、「苦しむ姿を見ていられなくて安楽死を選んでしまったが、本当はもっと生きたかったのではないだろうか」…
第三者から見れば充分に介護をしていたとしても、飼い主の心に浮かんでくるのはそんな思いばかり。人の言葉を話すことができないペットに対して、「もっとしてあげられることがあったのではないか」と後悔の念ばかりが襲ってきます。しかし、正解などないのです。逆に言うならば、ペットに対する深い愛情がそこにあったのなら、それが間違っていることなどありません。安楽死を選んだ飼い主は、たとえそのとき延命措置を選んだとしてもやはり後悔していたでしょう。どんな場合にも後悔はつきまといます。ペットロスは単に「喪失の嘆き」というだけのものではありません。自分自身へのさまざまな後悔が、悲しみを根強いものにしているのです。もし身近にそういう人がいたら、話を聞いてあげるだけでも違うと思います。
ペットとの離別は第三者には軽視されがちです。しかし「親や夫が亡くなったときよりも悲しい」という声は実に良く聞きます。人間なら入院していても「あれが食べたい、これが食べたい」と要求を口にすることや、時には憎まれ口をきいたりすることもあると思います。しかしペットにはそれができません。文句など言わずに、ただひたすら無償の愛を表現してくれます。そのいじらしさに報いようとして、深い「後悔」を感じてしまうのではないでしょうか。
飼い主の方も皆さん、「ああしてあげればよかった」「これでよかったんだろうか」と悩まれます。どう治療するかを最終的に選ぶのは飼い主の方ですが、皆さんに悔いが残らないよう、僕自身の経験も踏まえてこれからも相談にのっていきたいと思います。